1900年、2月14日。セイント・バレンタイン・デイ、寄宿制女子学校アップルヤード・ カレッジの生徒が、二人の教師とともに岩山ハンギング・ロックに出かけた。規律正しい生活を送ることを余儀なくされる生徒たちにとってこのピクニックは束の間の息抜きとなり、生徒皆が待ち望んでいたものだった。岩山では、力の影響からか教師たちの時計が12時ちょうどで止まってしまう不思議な現象が起こる。マリオン、ミランダ、アーマ、イディスの4人は、岩の数値を調べると言い岩山へ登り始めるが、イディスは途中で怖くなり悪鳴を上げて逃げ帰る。その後、岩に登った3人と教師マクロウが、忽然と姿を消してしまう・・・
寄宿制女子学校の生徒たちが岩山ハンギング・ロックへ訪れた際に起こった3人の生徒と1人の女教師の失踪事件。1967年に発表された同名小説を基に映画化された本作は、当時批評家や観客に「これは実話なのか?」と波紋を呼び、大きな混乱をもたらした衝撃作であり、今もなお、その謎は解けていない。また同時に、ソフィア・コッポラの「ヴァージン・スーサイズ」に直接的な影響を与え、ファッション界ではラフ・シモンズやアレキサンダー・マックイーンもインスピレーション源として本作に言及するなど、今日まで広く語り継がれる「神話的傑作」でもある。本作でその名を世界に知らしめたビーター・ウィアーは、メル・ギブソン、ジョージ・ミラーと並び、「オーストラリア・ニューウェイヴ」を代表する監督となった。未だ解けぬ美しき謎が日本公開から約40年の時を経て、いま4Kで鮮やかによみがえる。
監督
ピーター・ウィアー
1944年8月21日シドニー生まれ。
73年にフランスに旅行したときに浮かんだアイデアをもとに、初の長編劇映画『キラーカーズ/パリを食べた車』でオーストラリア陸軍内部を描く。その後、『ピクニック at ハンギング・ロック』の監督に起用され、オーストラリア国内で大ヒットを記録。その後は77年にリチャード・チェンバレン主演の『ザ・ラスト・ウェーブ』、81年には、メル・ギブソンを主演に迎え、第一次大戦に出征した青年たちの描いた『誓い』でヴェネチア映画祭金獅子賞にノミネート。続く82年にも同じくメル・ギブソン主演で、スカルノ大統領失脚を巡って混乱するインドネシアの激動期を舞台とした『危険な年』を監督し、カンヌ映画祭パルム・ドールにノミネートされる。こうした活躍によってオーストラリア・ニューウェイヴの旗手の一人となり、国際的な評価を得る。その後、アメリカに招かれ、85年にハリソン・フォード主演『刑事ジョン・ブック/目撃者』を監督し、アカデミー監督賞にノミネートされる。86年にも同じくハリソン・フォードを主演に『モスキート・コースト』、ロビン・ウィリアムズが情熱的な風変わりな教師を演じた青春映画『いまを生きる』(1989)、ジェラール・ドパルデューのロマンティック・コメディ映画『グリーン・カード』(1990)、コメディ俳優であるジム・キャリーがシリアスな題材に挑んだSF映画『トゥルーマン・ショー』(1998)、アクション・アドヴェンチャー大作『マスター・アンド・コマンドー』(2003)など、俳優の新境地を切り開く、さまざまなジャンルの映画を監督する。2010年に『ウェイバック-脱出6500km-』を最後に半ば引退状態となる。2022年にアカデミー名誉賞が授与され、初のオスカー受賞となった。
原作
ジョーン・リンジー
1886年、オーストラリアのメルボルンの名家に生まれる。小説家、劇作家、エッセイスト、ビジュアル・アーティストと多彩な顔を持つ。彼女のもっとも有名な小説『ピクニック・アット・ハンギングロック』は四作目の長編。ある夏の日、ハンギングロックで女子生徒とその教師が行方不明になった事件を描くこの小説は、実話をもとにしていると言われているが、そのミステリアスな表現と曖昧な結論は、多くに批評家や読者の関心を惹き、オーストラリアでもっとも重要な小説のひとつと評された。のちにペーパーバックのペンギン・ブックスに入れられ35万部を超える大ヒットを記録。オーストラリアの本としては、ペンギン・ブックスのトップの売り上げとなる。
撮影
ラッセル・ボイド
1944年、オーストラリア生まれの撮影監督。美しい少女たちの儚さと、ハンギング・ロックの荘厳な風景を怪しくも神秘的な映像で見事に捉えた『ピクニック at ハンギング・ロック』で1977年英国アカデミー最優秀撮影賞を受賞。また、オーストラリア・香港合作の『スカイ・ハイ』、ジリアン・アームストロング監督『スターストラック/わたしがアイドル!』(1982)』や、コメディ映画『クロコダイル・ダンディー』などオーストラリア映画に手掛け、オーストラリアの代表的な撮影監督となる。同時に『チェーン・リアクション』(1980)、『フォーエヴァー・ヤング/時を越えた告白』(1992)、『ドクター・ドリトル』(1988)など多くのアメリカ映画も活躍を見せる。ウィアー監督作品では『ザ・ラスト・ウェーブ』、『誓い』、『危険な年』、『マスター・アンド・コマンドー』、『ウェイバック-脱出6500km-』があり、『マスター・アンド・コマンドー』ではアカデミー撮影賞を受賞した。
レイチェル・ロバーツ
(アップルヤード校長)
1927年、ウェールズ生まれ。王立演劇アカデミーに学び、舞台やテレビで活躍。1952年から映画に出演し始める。ブリティッシュ・ニューウェイヴの代表作『土曜の夜と日曜の朝』(1960)で英国アカデミー賞女優賞を受賞するなど高く評価される。『孤独の報酬』(1962)で2度目の英国アカデミー賞を獲得したほか、ゴールデン・グローブ賞、アカデミー賞主演女優賞にもノミネートされる。その後『パリの秘めごと』(1968)、『夕日の挽歌』(1971)、『オリエント急行殺人事件』(1974)などに出演。『オリエント急行殺人事件』の演技を見たことからウィアー監督が彼女を『ピクニック at ハンギング・ロック』のアップルヤード校長役に決める。そのほか、ゴールディ・ホーンとチェビー・チェイスが共演したコメディ映画『ファール・プレイ』などの作品へも参加。1979年にはリチャード・ギア主演の『ヤンクス』で、英国アカデミー賞助演女優部門を受賞。3度目の英国アカデミー賞受賞となる。1980年死去。
アン=ルイーズ・ランバート
(ミランダ)
1956年、オーストラリア生まれ。イギリスにわたり演技を学び、72年に短編映画『Drugs and the Law』で映画デビュー。出演したテレビCMをウィアー監督が見たことがきっかけで、長編初出演の『ピクニック at ハンギング・ロック』で美しい少女ミランダに抜擢され、一躍注目を集める。その後、映画、テレビ、舞台などで活躍。2004年にはオーストラリア映画テレビ芸術アカデミー賞最優秀作品賞の『15歳のダイアリー』に出演。最新作は『Mother Mountain』(2022)。
ドミニク・ガード
(マイケル)
1956年、ロンドン生まれ。舞台俳優の父と俳優で詩人の母を持ち、兄のクリストファーも俳優。1971年、ジョセフ・ロージー監督の『恋』に出演。そのほか『ピクニック at ハンギング・ロック』、リチャード・チェンバレンと共演したテレビ映画『モンテ・クリスト伯』(1975)やリチャード・アッテンボロー監督『ガンジー』(1982年)に出演した。そのほか1978年には、ガードは『ロード・オブ・ザ・リング』のアニメ化でピピン役の声も担当している。現在は児童心理療法士、作家として活躍しており、10冊以上の児童文学を執筆している。
ヘレン・モース
1947年、イギリス生まれ。ロンドンの医師の家庭で生まれるが、少女時代にオーストラリアに移住。1965年国立演劇学校を卒業し、舞台やテレビで活躍後、映画界入り。1976年の映画『Caddie』でオーストラリア・フィルム・インスティテュート賞主演女優賞を受賞した。そのほか『アガサ/愛の失踪事件』(1979)などに出演し、1981年にはミニシリーズ『A Town Like Alice』で主演を務めた。『ピクニックat ハンギング・ロック』ではフランス人女教師を好演。そのほか90本以上の演劇作品にも出演している。2002年と2008年には、アダム・クックが脚色したパトリック・ホワイトの『The Aunt's Story』でセオドラ・グッドマン役を演じた。2004年には、イギリスの女性劇作家ブライオニー・ラヴェリーの『Frozen』でナンシー役を演じ、ヘルプマンアワード演劇部門の最優秀女優賞にノミネートされた。2020年には、モイゼス・カウフマン作『33の変奏曲』の演技が評価され、グリーンルームアワードを受賞した。
原作について
小説家ジョーン・リンジーが七十歳のときに見た夢をもとにひと月足らずで書き上げた小説。バレンタインデーにハンギングロックへピクニックに出かけた寄宿学校の女生徒たちが失踪した事件と、その事件の余波について描く。初版は1967年にチェシャー出版によりオーストラリアで出版され、その後1975年にペンギン・ブックスで再版された。この作品に描かれた失踪事件は事実なのか、フィクションなのかは大きな注目の的になり、いまでも議論が続いている。ピーター・ウィアー監督による映画化のほか、演劇、ラジオ、テレビドラマなどにも翻案され、高い人気を誇っている。
ディレクターズ・カット版/4Kレストア版について
1975年に製作され、日本では1986年に劇場公開された映画はオリジナルの116分版に満足していなかったピーター・ウィアー監督が公開から20年以上を経て、自身の手で再編集した107分のディレクターズ・カット版を制作した。
オリジナル・ネガフィルムはオーストラリア国立映像音響資料館に保存されており、ピーター・ウィアー監督とラッセル・ボイド撮影監督の監修のもと4Kスキャンによる修復が行われた。
順不同・敬称略
美しい少女たちの失踪とともに、完璧な世界に亀裂が走る。コルセットのように西洋的な文化で締めつけても、オーストラリアの自然は野生で対抗し、彼らの大事なものを奪い去っていく。
靴を脱いだ少女たちは素足でどこに行ったのか。抑圧からの解放、逸脱、叛逆、官能、自由の気配。危険で耽美的な物語の向こう側に、今の私たちは何を読み取るだろうか。
山崎まどか(コラムニスト)
はなやかな少女たちの足に蝿がたかり、すぐ横を爬虫類が這う。この世界に生きる少女たちの避けがたき施弱性、呪いのように纏わされた神秘性が、耽美的な映像の地層に隠されている。
児玉美月(映画文筆家)
美しさは加速する。永久に。その永久に跡形はなく、私は彼女たちの残像の前で立ち尽くすしかない。
長井短(演劇モデル)
少女たちに、いったい何が起きたのか。その詳細は一切描かれない。言い知れぬ恐怖と、現在まで残された謎についての物語。
ナイトウミノワ(映画ライター/アクセサリー作家)
ある時期の少女にとって、愚かさと美しさは同義である。
自ら罠に掛かる幼い自我こそ存在の証であり、消えてしまいたいという白昼夢の衝動に実体など無いのである。
東佳苗(rurumu:デザイナー)
ヴィクトリア朝の少女たちは、大正乙女に通じる感受性を持つ。
陶酔し、感傷に侵されている。その感覚のすべてを閉じ込めた、 稀有なる名作。
山内マリコ(小説家)
夢の中の夢。見ている者が意識を失い淡々と夢を見続けるような時間。花々しい少女たちを誘ったあの隙間の先に何があるのだろう。
小谷実由(モデル)
幻惑的な光景と歩調はまるで白昼夢のようで。不穏に屹立する岩山は少女と同時に、目撃者たる我々も迷宮の中に呑み込んでしまう。
ISO (ライター)
ほんとうに魔法みたいな映画。すべてのファッション映画とすべ てのニ ュー ヨーク大学生の卒業論文は、この詩的な傑作の影響下にある。私も大学のとき、「ランチタイム at ぶらぶら巨岩」ってふざけたリメイクを作ろうとしたけど、俳優がみんな寝坊してできなかった。
レナ・ダナム (映画監督)
高校を出たばかりのリタ・アッカーマンが、私をビキニ・キルのライブ に連れていき、そして『ピクニック at ハンギング・ロック』を観にMoMAまで連れていってくれた。私にとって本当に大事な映画。